2011年。
大災害が日本に襲来した。
そして・・・そんな中で再認識されたのが「絆」。
弱い立場になったとき・・・孤独では・・・なかなか生きるのに大変。
絆・・・・。
ラン科植物は菌根植物。
他の植物より菌との絆は深い。
森の光の負け組み植物にとってこの菌とのライフラインは絶対不可避である。
種族保存に関る!
なぜなら、自生地に「無菌」の空間などないからである!
ナドソンの無菌培養は、飽くまでも人間が作った地表にはない空間である。
ランとラン菌との絆・・・。
この絆という言葉とラン栽培、植物栽培が何の関係もないように見える。
しかし、このラン菌による炭素循環栽培法を構築するに当たって、
宇井清太が最も重要視したのがランとラン科植物の「絆」である。
「絆」は別な言葉で言えば「共生」である!
宇井清太の問題意識、研究の方向、SUGOI-ne栽培・・・
この度の大震災は・・・・宇井清太は間違っていなかった・・・ということを示してくれた。
ラン界が最も忘れ、削除してきたのがラン菌との「絆」ではなかったか????
ランにとって最も重要なライフラインはラン菌の菌糸である。
エネルギーの調達ルートである。
ラン菌との絆こそ、ランが生きる上で最も重要だったのである。
この絆がなければ、自生地ではランの種子は一個も発芽することが出来ない。
この絆を・・・1920年代、アメリカのナドソンは無菌播種法で断ち切った。
科学技術というメスで絆を切り裂いた。
科学技術が原発事故で・・・いかに危うく脆いものであるか知ることになった。
現在の科学では自然の営みをほとんど解明していないことを証明して見せた。
ランとラン菌の絆についてもほとんど解明されていない!
ナドソンの無菌培養というのは、ランとラン菌の一部分を解明したに過ぎない。
発芽のステージのみである。
苗は大量に作ることが可能になったに過ぎない。
なぜなら、ナドソンの無菌培養では、破壊された自生地を再生できないからである!
本当に優れた科学技術なら、自生地を、自然を再生できるはずである。
原子力科学も自然を再生させることは出来ない。
無菌培養も、メリクロンも・・・
ランの大量生産時代を作りだしたが・・・・逆にランは「孤独」で泣くことになった。
大群衆の中の孤独である。
大都会の中の孤独と似た状況である。
現在、ランは孤独に泣きながら・・・・点滴で生きている。
何百万年結んできたラン菌との「絆」は、もはや世界の蘭界には・・・見ること出来ない。
この状況を誰も不思議に思わない。
それが現在の蘭界である。
ラン愛好。
本当にランと愛好者が「絆」で結ばれているのであろうか????
ランと運命的な「絆」を結んでいる人が蘭界に何人いるのであろうか???
震災の最中、宇井清太は考えてしまった。
愛好者ほど、プラントハンターほど、絆を無視してきたのではないか・・・
愛好というのは身勝手で、残酷なものである。
SUGOI-ne。
この用土は、ランとラン菌との「絆」を鉢内の結べる世界で唯一の「用土」である。
SUGOI-neで大成功した人は、考察してみると・・・・「絆」を結べる人であった!
SUGOI-neで失敗した人の多くは・・・「絆」を考えてこなかったようである。
絆のない水ゴケ、バーク、軽石で・・・絆など考えもしないで使用したようである。
これまでのランの本、講習会では・・・・
ほとんどランの根本である「絆」を深く説明したものはない。
テクニックではなく・・・もっと深い自然の法則を・・・・
今回の大震災は・・・考えなければならないことを示唆してくれたようである。
SUGOI-neは・・・・絆。
絆は・・・・SUGOI-・・・スゴイネ!
異郷の地で生きるランにとって、最も欲しいのは・・・・ラン菌との絆・・・である。
IT時代。
ホームページ上のやり取りは、絆のように見えるが、これは絆とはいえない!
SUGOI-neのブログ。
宇井清太は名前を明記して発信。
ところがブログは無記名、匿名!
こういう関係を「絆」とはいわない。
SUGOI-neに関してのことは、必ず名前を明記して、研究し合うものでありたい。
サイトでは、非常に都合が悪い場合は、宇井清太に研究成果をFAX下さい。
それが「絆」というものである。
己の名前を公表できないようなものは、SUGOI-neに関しては、何の価値もない情報である!
絆・・・・・・
ランは孤独に泣いている。
kouza 1ass
」